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核家族化する葬儀
生活様式が大きく変化しはじめてきた明治以降の葬儀の変化について、ごくかいつまんで説明してきましたが、このなかでも最も根本的な変化は、葬儀を現実に執り行う人びとは誰かという問題だと思います。
現在でも伝統的な生活習慣を残している地方では、すべての葬送儀礼を地域住民の助力によって行う場合があります。
そこでは葬具の準備から、料理の支度、埋葬まですべての作業を近隣住民が中心になって取り仕切り、遺族はただ悲しみにくれていればよいということもあるようです。
このような形態の葬儀が万事都合よいかどうかはともかくとして、都市部を中心とした生活様式の近代化はもはやこの種の形態の葬儀を不可能にしてしまいました。
かっては隣近所に住むということは、農作業などの労働をともにするということを意味していましたが、都市住民においては仕事と居住は一致していません。
したがって葬儀の際の援助を近隣に求めるのはむずかしくなってきました。
また葬儀の段取り、火葬や埋葬などの仕事も専門的な要素が強くなってきましたので、それぞれ独立したサービス業者に任せるほうが、何かと便利になってきました。
こうした変化のなかで、葬儀を実質的に取り仕切る中心は、地域共同体から家族に移り変わってきたのです。
しかも戦後の核家族化の流れのなかで、親族関係さえも薄らいできていますので、葬儀はいまや核家族を中心に行われているといっても過言ではないでしょう。
葬儀の主体の変化は、社会の最小単位の変化であるといってもよいかもしれません。
近代化という大きなうねりのなかで、葬儀の主体は、地域共同体からイエへ、イエから核家族へと移り変わってきました。
高度経済成長のある時期には企業葬ということが流行した時期もありますが、それも多くの人が職場を重要な社会の単位と考えていたからなのでしょう。
しかしいまのところ、社会の最小単位はだんだん小さくなっていくようです。今後は少子化や高齢化がさらに進展していますから、核家族の存在さえあやうくなるかもしれません。そのときに葬儀の主体は、ついには個人にまで行き着いてしまうのか、あるいは必ずしも家族にはこだわらない新しい社会関係を見つけ出していくのか、現在はさまざまな可能性が試されている時代だということができます。
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