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わたしのなかの小さな死
このように考えてきますと、「わたし」の内部に深く根をおろしている他者の死は、その人と共有している「わたし」のなかの部分の死でもあるわけです。
これを「部分死」と呼ぶ人もいます。
わたしたちとかかわりのある人の死は、わたしたちの精神に大きな傷跡を残していくのです。
例えば自分を育ててくれた親、長年連れそった配偶者、かけがえのない友人たちなどの死は、わたしたちの精神の社会的に形成された一部分が失われることにほかなりません。
われわれの精神に生じた重大な傷を癒すこと、これが葬儀の役割の一つということになります。
残された者の立場からいえば、他者の死を受容することといえるでしょう。
さて、死に直面したときに、それを受け入れるとは一体どのような状態をいうのでしょうか。
人間の精神のありようは人それぞれですから、一概にこれが「受容」であるなどということはできません。
ここでは、自己の死であれ、かけがえのない身近な者の死であれ「死」そのものと向かい合い、その動かしがたい事実に直面し、心がさまざまに揺れ動きながらも、死を認め受け入れていく心の状態を「死の受容」としておきましょう。
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