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通過儀礼としての葬式
葬儀も通過儀礼の一種として説明することができます。
人が死ぬと、死者とその遺族は「喪」という特殊な時間(服喪の期間)に入ります。それは平常の時間から分離された特殊な時間であり、かつて日本では「ケガレ」の時間として考えられてきました。
分離の儀礼とは、平常の時間に区切りをつけ、服喪に入るための準備の儀式です。以前は「末期の水」「魂よばい」「湯灌」などの儀式が行われてきました。
しかし現在においては「お葬式」(通夜や告別式)を行うための単なる準備期間になってしまったようです。
北枕に代表されるように、服喪の期間には平常では禁止されているような行為(禁忌)をわざわざ行うことにより、死者と遺族が特別の時間にあることを強く確信し続けます。
こうした特別な時間で行われる儀式を「過渡期の儀礼」と呼びます。
現代の葬儀においては通夜、告別式、火葬などがこれにあたるでしょう。
ここでは参列者も交えて、死者を生者とは別の世界へと送るための儀式が行われます。特別な時間や空間を経過したのち、死者は死者の世界に、生者はもとの世界に統合され、平常の時間にまいもどり、喪が明けることになります。
現代の葬儀においては、統合の儀礼は必ずしもはっきりしていませんが、いわゆる「四十九日」や「一周年」などの会合がそれに相当していると考えられます。
通過儀礼としての葬儀は、遺族に特別な時間を通過させることで心理的な変容をもたらし、結果的に死を受容させていると考えることができます。しかし、それは儀式や儀礼が形式的に進行するのではなく、参加する者たちによって十分な内実と精神的な緊張をともなって行われた場合においてです。かりにお金のかかった「立派な」葬儀であっても、その儀礼が心のこもらない醒めた態度で行われるものであっては、死の受容も十分には生まれてこないのではないのでしょうか。
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